コロナ禍のためか、在宅診療のご依頼をたくさんいただいております。
定期的に在宅診療を行う方は大抵、看取りも考慮に入れた診療を行うことになります。
そこでよく大切にされていることとして、出てくる表現で『寄り添う』という言葉があります。
私はこの『寄り添う』というのが、あまり好きではなりません。なぜか。
それは具体的な行動を表していないように思え、ただの心意気を表現しているのに過ぎないのではないかと感じるからです。違う例えでいうと「やる気あります」と言うのと似てますかね。やる気があっても、相手に伝わらない、うまく成果をあげられなければ、本当にやる気あるの?口ばっかりだねとなります。本人にやる気は満々なのに。
寄り添うも非常に曖昧で、こちらは寄り添っているつもりでも患者さんには寄り添ってもらってないと思われたら、もう、それはこちらが寄り添ってますと言っても、寄り添っていないです。
だから、私は患者さんに「寄り添った医療をします」とは申しません。
でも、患者さんに寄り添った医療をしてくれていると有難いお言葉をいただくことがあります。
では、どうすれば寄り添っていると感じて貰えるのか?
私が考えるには、共感を示すということがとても大切と考えています。
共感を伝えるにはどうすれば伝わるか?
それはいくつか方法があると思いますが、使い古されたコミュニケーションスキルですが、効果的な方法を3つあげます。
①表情を真似る。
②おうむ返しする。
③読心術を使う。
です。
①は表情を真似ることですが、辛い時に同じように辛そうな顔をすると、実は最初はこちらは全然辛くなくても、やがて少しだけ同じように辛い気分を味わえます。
②相手の言葉をしっかり聴いて、キーになるような言葉をおうむ返しすると共感してもらえていると感じてもらえます。
③実際に心を読める訳ではないですが、推測することはできます。そこで、相手の感じていることをうまく代わりに表現すると、理解してもらえているという気分になります。違っていても構わないです。理解しようと努力していることを伝えることが必要です。また、違っているかもしれない対策として、「悲しいですね。」というよりも「悲しかったのですか?」と疑問系にすると、あっていればそうですと返って来ますし、違っていればそうではなくてと説明してくれると思います。
上記はそれぞれ小手先のスキルのように見えますが、実はちゃんと相手の話を聴き、表情や呼吸を観察しないとできません。また、患者さんのこれまでの歴史を理解することも役に立ちます。
共感を示さなくても、患者さんの癒しにつながる方法もあります。それはただそこにいるだけという方法です。
これはご家族だからできる方法です。でも、結構難しいです。家族だから、介護者だからなんとかしてあげたくなります。励ましたくなります。
それもいいと思います。
でも、何も具体的にしてあげられることが何もないという場合、ただ愛する人がそばにいるだけで癒しになります。
それが本当に「寄り添い」だと思います。
参考図書