当院は予防に重点をおいています。糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病は心筋梗塞や脳卒中の危険性をうんと高めます。
ですので、生活習慣病にならないための相談を
受け付けています。
また、当院では定期的にご自宅を訪問して診察をする訪問診療や急病で受診できない場合にご自宅にお伺いする
往診を行っています。
特に訪問診療は近隣の訪問看護ステーションと連携し、24時間対応しています。高齢で足腰が弱ってしまって、一人では外出できなかったり、事故や病気で寝たきりになってしまった方など
訪問診療の対象となります。お気軽にご相談ください。
書籍を出版しました
“ムダな通院を減らすたった1つのこと
~あなたの悩みを解決する家庭医のすべて~“
2018年7月、白夜書房より自著を出版しました。
ぜひ、手に取ってお読みいただけるととてもうれしいです。
- 2024.06.27
- 当院で満たす施設基準及び加算に関する掲示
- 2023.10.16
- インフルエンザワクチン専用外来を開設します
- 2024.12.23
- 科学的に効果が証明されているサプリメントは何?
- 2024.12.17
- 認知症の早期発見は意味があるのか?
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | |
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午前診 9:00~12:00 |
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12:00~13:00 | - | - | - | - | |||
午後診 14:00~17:00 |
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夕診 16:00~19:00 |
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※1:14時〜15時30分
(外来担当医)
月曜日:小坂 医師
火・木曜日:野々上 医師
水曜日:小坂 医師
金曜日:
午前9時~12時 田口 医師
午後2時〜4時 田口 医師
夕診 小坂 医師
第1土曜日:小坂 医師
第3、4土曜日:田口 医師
第5土曜日:今藤 医師
…月・水・金曜日 午後12:00~13:00
休診日…日曜日、祝日
医療現場の過酷な環境
医師になって最初の年、私は救急をすべて受け入れる沖縄の南部徳洲会病院で研修医をスタートしました。
早く実力をつけたい、多くの場数を踏みたいと思い、その病院に就職しました。
すると期待通り、多くの場数や修羅場を踏むことになりました。
青い海が広がる暑い沖縄でマリンスポーツなどする暇はまったくありませんでした。
毎日、朝から救急車のサイレンが鳴り響き、軽症から超重症までなんでも、1年目研修医がまず対応しました。
おかげで救急車のサイレンの幻聴も聞こえるようになりました。
1週間病院に寝泊まりしたことや、帰っても深夜に受け持ちの入院患者さんが急変して、呼び出されて病院に行くという日々を繰り返していました。
受け持ち患者さんは30人。
指導医は100人の入院患者を診ていましたので、この状況をなんとかしてほしいなどと言えませんでした。
当直は基本3日に1回あり、7人いた同期のうち2人がうつ病になって病院を離れていきました。
その分、当直の回数が増え2日に1回のペースで当直に入るようになりました。
眠れない当直を過ごした後、いつものように朝昼夕と病棟患者さんたちを回診し、指導医とも朝夕回診し、通常で夜7時すぎに終了します。
検査結果待ちの間、隠れて病院の屋上のベンチで昼寝をしたりもしていました。
帰り道に眠気のために何度か危ない目にもあいました。
患者さんたちにとっても非常に危ない状態だったと思いますが、医療事故が起きなかったのは幸いでした。
私が精神的には大丈夫だったのは何でも話せる、同じ苦労を分かちあっている同期の存在は大きく、とても助けになりました。
しかし、このような状態が続いて普通の状態でいられる人は少なく、私もその一人になりました。
ある日、朝起きて立つと膝がカクンと折れ、力が入りづらいことに気づきました。
徐々に両手、両足の脱力が進行し、1週間もすると攝子で綿球もつかめず、階段も休み休みでないと登れない状態になり、とうとう神経内科を受診しました。
診断はギラン・バレー症候群でした。
このため1週間の入院治療を行いました。
家庭医療との出会い
入院中、私は考えました。
本当にこれでいいのだろうか?自分の選んだ道は正しいのだろうか?
果たして、疲労困憊した医者が患者に良質な医療を提供できるのだろうか?
いや、できない。この状態は変えなければならない。
日本の医療にまつわる環境を変えていかないといけないと思い始めました。
軽症でも夜間に救急病院を受診する患者さん。
あるいは手遅れの状態になってから受診する患者さん。
どちらも減らさないと日本の医療は疲弊しきって、崩壊し、果ては患者さんに十分な医療を提供できなくなってしまう。
どちらも町の診療所(プライマリ・ケア)の段階で十分な説明や対応がなされていれば、これはどちらも減らすことができるはずと思うようになっていました。
そんな中で出会ったのが、家庭医療(アメリカではFamily Practice、イギリスではGeneral Practice)という分野でした。
それは当時ピッツバーグ大学で家庭医療の研修をされていた、現在、手稲渓仁会病院で活躍しておられる小嶋一先生の講演を聴きにいったときでした。
アメリカの家庭医は診療所をメインに活躍し、どんな症状でも対応し、お産もとりあげているという衝撃の内容でした。
私は直感的に心の中で「これだ!!」と叫びました。
家庭医療に興味をもった私が購入した書籍が『家族志向のプライマリ・ケア』(S.H.マクダニエル著、松下明訳、丸善出版)でした。
この本はとても有益でした。
患者の病気や受診動機には家族がどのように影響しているかをどのように対処すべきかをわかりやすく書いてありました。
患者、家族への対応も上手にやれば無用な受診、重症化してからの受診も減らせられる、そもそも病気を減らすことができるかもしれないと思い始めました。
やがて後期研修からは家庭医療を学びたいと思うようになりました。
募る家庭医療への想い
しかし、当時はまだまだ医師は臓器専門医となることが主流でしたので、この話を両親や兄にすると、猛烈に反対されました。
そんなよくわからない分野には行くな。専門的に学ぶべきだと。
今では対応を誤ったなと思いますが、当時は売り言葉に買い言葉で、私も徹底的に反論したので、当然、同意を得ることはできませんでした。
私は自分の家族を幸せにできない人間は良い家庭医になんかなれないと考え、ここは折れて、1年間、京都にある音羽病院で救急医として働くことにしました。
そこでもたくさんの人と病気を診ました。
多くの医学的には不要な受診または重症化してしまった状態の患者さんは相変わらずやってきました。
そして、家庭医療の必要性をどんどん実感するようになり、家庭医療を学びたい思いは膨らんでいきました。
そして、もう一度、両親に家庭医療を学びにいきたいということを話すとまだあまりいい顔はされませんでしたが、晴れて許しを得ることができました。
そうして家庭医療を学びにいくことになりました。
私は千葉にある亀田ファミリークリニック館山というところで、多くの家庭医療についての知識、技術を学びました。
そこには病気を予防する方法や健康増進の方法も含まれていました。
もちろん、どうすれば患者さんにうまく説明できるのかも学ぶことができました。
家庭医療の実力を試すため、日本の医療を変えるため、離島が最適と考え、沖縄への恩返しもかねて西表西部診療所で勤務し、さらに多くの病気やケガやさまざまな状況に対応してきました。
誰もが笑顔で健康に暮らす為に
父と3年間離島で働いたら、神戸に帰ってきて小坂医院を継ぐ約束をしていたので、平成26年に帰ってきて医院を継承し、今に至ります。
今では離島のころよりも遥かに多くの患者さんやそのご家族からもご支援いただいております。
また、たくさんの感謝の言葉も頂いております。
日本の医療を変えて、すべての人にタイムリーで良質な医療を安定的に供給し、防げる病気は防ぎ、不要な救急受診をなくすという私の野心はまだまだ燃え盛っています。
そのためには医療者も健康で日々の生活が充実していなければなりません。
日々、『こさか家庭医療クリニック』は進化し、患者さんとそのご家族ともども幸せに健康になれるよう手を尽くしていくことを誓います。